機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(小説版) [小説レビュー]
「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(上・中・下)」(富野由悠季)角川スニーカー文庫
シャアの反乱時、少年だったハサウェイ・ノアは、すでに立派な青年になっていた。彼は植物監察官の研修として、今まさにシャトルで地球へ降下しようとしていた。その便には、アデレード会議に向かう多くの閣僚たち、太平洋の連邦軍指揮官として着任するケネス大佐、そして不思議な空気を身にまとった少女、ギギ・アンダルシアが乗り合わせていた。優雅に時が過ぎるシャトルの中。しかし大気圏に突入しようとする最中、ハイジャック事件が起こる。
「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン(角川スニーカー文庫)」続編として執筆された小説であり、ガンダム界隈で知らぬものない、興収22億超えとなった映画版の原作である。映画版第二部公開の情報が未だほとんど出てこない中、何度か第一部をU-NEXTで視聴しているうちに我慢できなくなって笑、ついに小説版に手を出してしまった次第。
もともと映画制作発表時に情報収集はしていて、どういうストーリーなのかはある程度理解していた(ラスト含め)。それでもこの小説は、すごく面白かった。
富野監督の小説は初代ガンダムの頃から読んでいて、ガンダム三部作は何度も読み返している。でも「リーンの翼」は読んでいて苦痛で笑、それ以降の作家・富野由悠季の作品には触れてこなかった。「リーンの翼」がファンタジーにして富野言葉ということで、読みづらさは間違いなくあったと思う。そして多分、ジャンルが私に合っていなかった笑。
そして多分、作家・富野由悠季は間違いなくこの時期成長していると思う。執筆当時の数年間に相当の小説作品を物しているのだから。お陰で今作は文章のテンポも良く、読んでいてほとんどストレスを感じない。見事に『小説』になっているという印象だ。
お陰で、基本的に上巻をなぞっている映画版が思った以上に小説そのままだったことにビックリした。特にセリフ。映画で耳に残っている印象的なセリフがそのまま書かれている。以前の富野小説だったら、言葉遣いが独特でこうは行かなかったのではないかと思う。自然な会話言葉が使われているので、変に引っかかりを感じることもなく読み進められる。
登場人物の扱い方も、脇役までしっかりしている。若干ケリアの扱いがぞんざいだが笑。富野さんもケリアを出したはいいけど扱いに困ったんだなぁ、と。困ったなら諦めれば良いのだが、終盤までハサウェイがウジウジと意識してしまっていて、ここは残念ポイントかな。上巻で出してしまって、無視できなくなってしまったのかもしれない。富野さん律儀笑。
さて、肝心の中身だが、映画だけを見た人には分かり辛いかもしれないが、これは群像劇だ。特に上巻(映画)だとハサウェイ目線で物語が進むので主人公っぽいが、実は中巻ではギギ、下巻ではケネスに多くの描写が費やされていて、其々主人公という程ではないが感情移入をそそられる。
それがハサウェイの悲劇の一部を緩和してくれる緩衝材になっている。これが最初から最後までハサウェイの視点で描かれていたら、ちょっと読者にとっては厳しかったかもしれない。
そして物語の最後は、ハサウェイのいない中でもしっかり描かれていく。ここを読んでいて思ったのは、初代ガンダムの小説版。あれもアムロがいなくなってからのラストがガッチリ描かれていた。富野さんは主人公と思しきキャラがいなくなっても、物語のカタはしっかりつけたいタイプなんだなと笑。
次回の映画第二部は「サン・オブ・ブライト」というサブタイトルが付き、小説版と最も変わるのだと言う。変わった物語も楽しみだが、小説版の凄さ、面白さをぜひ超えていって欲しいと思ったし、映画ハサウェイのスタッフで、初代ガンダムの小説版の映画化もして欲しいという思いも生まれてしまった。
シャアの反乱時、少年だったハサウェイ・ノアは、すでに立派な青年になっていた。彼は植物監察官の研修として、今まさにシャトルで地球へ降下しようとしていた。その便には、アデレード会議に向かう多くの閣僚たち、太平洋の連邦軍指揮官として着任するケネス大佐、そして不思議な空気を身にまとった少女、ギギ・アンダルシアが乗り合わせていた。優雅に時が過ぎるシャトルの中。しかし大気圏に突入しようとする最中、ハイジャック事件が起こる。
「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン(角川スニーカー文庫)」続編として執筆された小説であり、ガンダム界隈で知らぬものない、興収22億超えとなった映画版の原作である。映画版第二部公開の情報が未だほとんど出てこない中、何度か第一部をU-NEXTで視聴しているうちに我慢できなくなって笑、ついに小説版に手を出してしまった次第。
もともと映画制作発表時に情報収集はしていて、どういうストーリーなのかはある程度理解していた(ラスト含め)。それでもこの小説は、すごく面白かった。
富野監督の小説は初代ガンダムの頃から読んでいて、ガンダム三部作は何度も読み返している。でも「リーンの翼」は読んでいて苦痛で笑、それ以降の作家・富野由悠季の作品には触れてこなかった。「リーンの翼」がファンタジーにして富野言葉ということで、読みづらさは間違いなくあったと思う。そして多分、ジャンルが私に合っていなかった笑。
そして多分、作家・富野由悠季は間違いなくこの時期成長していると思う。執筆当時の数年間に相当の小説作品を物しているのだから。お陰で今作は文章のテンポも良く、読んでいてほとんどストレスを感じない。見事に『小説』になっているという印象だ。
お陰で、基本的に上巻をなぞっている映画版が思った以上に小説そのままだったことにビックリした。特にセリフ。映画で耳に残っている印象的なセリフがそのまま書かれている。以前の富野小説だったら、言葉遣いが独特でこうは行かなかったのではないかと思う。自然な会話言葉が使われているので、変に引っかかりを感じることもなく読み進められる。
登場人物の扱い方も、脇役までしっかりしている。若干ケリアの扱いがぞんざいだが笑。富野さんもケリアを出したはいいけど扱いに困ったんだなぁ、と。困ったなら諦めれば良いのだが、終盤までハサウェイがウジウジと意識してしまっていて、ここは残念ポイントかな。上巻で出してしまって、無視できなくなってしまったのかもしれない。富野さん律儀笑。
さて、肝心の中身だが、映画だけを見た人には分かり辛いかもしれないが、これは群像劇だ。特に上巻(映画)だとハサウェイ目線で物語が進むので主人公っぽいが、実は中巻ではギギ、下巻ではケネスに多くの描写が費やされていて、其々主人公という程ではないが感情移入をそそられる。
それがハサウェイの悲劇の一部を緩和してくれる緩衝材になっている。これが最初から最後までハサウェイの視点で描かれていたら、ちょっと読者にとっては厳しかったかもしれない。
そして物語の最後は、ハサウェイのいない中でもしっかり描かれていく。ここを読んでいて思ったのは、初代ガンダムの小説版。あれもアムロがいなくなってからのラストがガッチリ描かれていた。富野さんは主人公と思しきキャラがいなくなっても、物語のカタはしっかりつけたいタイプなんだなと笑。
次回の映画第二部は「サン・オブ・ブライト」というサブタイトルが付き、小説版と最も変わるのだと言う。変わった物語も楽しみだが、小説版の凄さ、面白さをぜひ超えていって欲しいと思ったし、映画ハサウェイのスタッフで、初代ガンダムの小説版の映画化もして欲しいという思いも生まれてしまった。
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