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機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(小説版) [小説レビュー]

IMG_3573.jpg「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(上・中・下)」(富野由悠季)角川スニーカー文庫

シャアの反乱時、少年だったハサウェイ・ノアは、すでに立派な青年になっていた。彼は植物監察官の研修として、今まさにシャトルで地球へ降下しようとしていた。その便には、アデレード会議に向かう多くの閣僚たち、太平洋の連邦軍指揮官として着任するケネス大佐、そして不思議な空気を身にまとった少女、ギギ・アンダルシアが乗り合わせていた。優雅に時が過ぎるシャトルの中。しかし大気圏に突入しようとする最中、ハイジャック事件が起こる。

「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン(角川スニーカー文庫)」続編として執筆された小説であり、ガンダム界隈で知らぬものない、興収22億超えとなった映画版の原作である。映画版第二部公開の情報が未だほとんど出てこない中、何度か第一部をU-NEXTで視聴しているうちに我慢できなくなって笑、ついに小説版に手を出してしまった次第。

もともと映画制作発表時に情報収集はしていて、どういうストーリーなのかはある程度理解していた(ラスト含め)。それでもこの小説は、すごく面白かった。

富野監督の小説は初代ガンダムの頃から読んでいて、ガンダム三部作は何度も読み返している。でも「リーンの翼」は読んでいて苦痛で笑、それ以降の作家・富野由悠季の作品には触れてこなかった。「リーンの翼」がファンタジーにして富野言葉ということで、読みづらさは間違いなくあったと思う。そして多分、ジャンルが私に合っていなかった笑。

そして多分、作家・富野由悠季は間違いなくこの時期成長していると思う。執筆当時の数年間に相当の小説作品を物しているのだから。お陰で今作は文章のテンポも良く、読んでいてほとんどストレスを感じない。見事に『小説』になっているという印象だ。

お陰で、基本的に上巻をなぞっている映画版が思った以上に小説そのままだったことにビックリした。特にセリフ。映画で耳に残っている印象的なセリフがそのまま書かれている。以前の富野小説だったら、言葉遣いが独特でこうは行かなかったのではないかと思う。自然な会話言葉が使われているので、変に引っかかりを感じることもなく読み進められる。

登場人物の扱い方も、脇役までしっかりしている。若干ケリアの扱いがぞんざいだが笑。富野さんもケリアを出したはいいけど扱いに困ったんだなぁ、と。困ったなら諦めれば良いのだが、終盤までハサウェイがウジウジと意識してしまっていて、ここは残念ポイントかな。上巻で出してしまって、無視できなくなってしまったのかもしれない。富野さん律儀笑。

さて、肝心の中身だが、映画だけを見た人には分かり辛いかもしれないが、これは群像劇だ。特に上巻(映画)だとハサウェイ目線で物語が進むので主人公っぽいが、実は中巻ではギギ、下巻ではケネスに多くの描写が費やされていて、其々主人公という程ではないが感情移入をそそられる。

それがハサウェイの悲劇の一部を緩和してくれる緩衝材になっている。これが最初から最後までハサウェイの視点で描かれていたら、ちょっと読者にとっては厳しかったかもしれない。

そして物語の最後は、ハサウェイのいない中でもしっかり描かれていく。ここを読んでいて思ったのは、初代ガンダムの小説版。あれもアムロがいなくなってからのラストがガッチリ描かれていた。富野さんは主人公と思しきキャラがいなくなっても、物語のカタはしっかりつけたいタイプなんだなと笑。


次回の映画第二部は「サン・オブ・ブライト」というサブタイトルが付き、小説版と最も変わるのだと言う。変わった物語も楽しみだが、小説版の凄さ、面白さをぜひ超えていって欲しいと思ったし、映画ハサウェイのスタッフで、初代ガンダムの小説版の映画化もして欲しいという思いも生まれてしまった。
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海辺のカフカ [小説レビュー]

51XS036DBPL._SS500_.jpg「海辺のカフカ(上・下)」(村上春樹)新潮文庫

15歳の僕、田村カフカは東京中野の家を出た。当てもなく流れ流れて高松で不思議な私設図書館に迎え入れられ、一時腰を落ち着ける事になる。そこで出会った大島さん、そして佐伯さんとの触れ合いの中で、今まで感じた事のない感情が芽生えていく。
一方、都からの補助を受けて中野で暮らしている初老のナカタさんは、猫と話せる特殊な能力を使って迷子の飼い猫を探す仕事をしていた。そしてある猫を探しているうちに“ジョニー・ウォーカー”と名乗る怪しい人物と出会う。
二人の旅路は、“入り口の石”によって、知らぬ間にクロスオーバーしてゆく・・・・。

昨年末、高校同級生数人で忘年会をやった時に、ワタシが「ノルウェイの森」チェーンリーディングしているのを知っていたある友人から『「ノルウェイの森」より「海辺のカフカ」の方がすんなり読めた』と言われ、一読していたもののほとんど記憶になかった今作が気になり出して再読する気になったw

お陰で「ノルウェイの森」スパイラルからやっと抜け出す事が出来た。ありがとうマリさん(笑)。

で今作の話だが・・・・どうしてもこれまたネタバレレビューとなってしまうと思うので、これから読もうかと思っている方は読後に来て下さい(笑)。

「ノルウェイの森」は自分が年齢を重ねて物語に対するイメージが変わって来た部分が大きかった。同じような理由なのか、それとも単に初読の時の読みが浅かったのかは分からないが、今作も初読時の記憶よりずいぶん面白かったように思う。とは言えbetterレベルだったが・・・・。

ワタシは(何度も書いて恐縮だが)登場人物に感情移入して読むたちな訳で、じゃあ今作でカフカくんに感情移入出来たか、と言うと残念ながら出来なかった。多分そこが「ノルウェイの森」と比較してしまうと今作で“最も乗れない”要因だと思う。だからワタシみたいなたちじゃなければ、また全然違う感想を持つだろう。

カフカくんに感情移入出来なかった要因は、簡単に言っちゃうとワタシ自身と全然違うから、という事になってしまう。人間やっぱり自分に近いキャラクターの方が共感しやすい。(だから子供番組に子供の登場人物が必要だと思われてる訳だがw)

カフカくんは基本的に“普通の人”ではない。第2の人格のカラスくんが自分の心の内にいるし、オイディプス的呪いに苛まれる。そして「世界で一番タフな15歳」になろうとする。普通、人が家出をする場合「タフであらねば」と思って家出をする人はいない。逆にその場に踏み留まるために思う事だ。何故なら家出とは“何かから逃げる”行為であるからだ。

ただ、そう言った特殊な性格付けだけで読み手(ワタシ)が感情移入出来なくなる訳ではない。魔法使いにだって怪物にだって動物にだって感情移入は出来るのだから。

それなのになぜカフカくんに感情移入出来ないのか、と言うと、彼の特殊さの理由付けが曖昧だからだ。人は理解出来ない相手に共感する事は出来ないのだ。もちろん父親との関係性の中でそう言った特殊性が産まれたのだろうとは想像するが、曖昧模糊とし過ぎていて理解出来ない状況を改善出来ていない。

そしてカフカくんの章は一人称で語られるにもかかわらず、感情表現が非常に薄い。それはカフカくんがタフであろうとして感情に流されないようにしているから当然と言えば当然なのだが、お陰で読者はカフカくんとの距離感を詰める(親近感を感じる)事が出来ないのだ。特殊な文体(短いセンテンスの重なりで語られる)がそれを更に補完している。

後半に入って佐伯さんに対する思慕の情が描かれるに及んでやっとカフカくんへの好意のとっかかりを得るのだが、残念ながら時すでに遅し、である。

対してナカタさんの章。こちらのナカタさんもカフカくんに負けず劣らず特殊なキャラだ。しかしある程度のバックボーンを説明してくれているから、まだ感情移入出来る。ただこちらは逆に後半になると不思議キャラ化してしまって、人物というより星野くんの動機というだけの役割になって感情移入を拒否してしまう。

お陰で作中で一番一般人の星野くんが最も感情移入の受け皿として最適なキャラクターとなってしまう訳だ(笑)。彼は彼自身の半生もナカタさん相手にぺらぺら喋るし、物語の中で成長するし、クライマックスでは大活躍する。まことに感情移入先として正しいキャラという事になる(笑)。だから前半早めに星野くんが物語に絡んで来ていたら、この作品はもっと普通に楽しめただろうと思うんだけどね。

もう一つ、猫好きとしては正視に耐えないジョニー・ウォーカーの所行の生々しい描写も、この作品を好きになれない理由の一つかなぁ。しかも物語のターニングポイントと絡んでいるので、読まずには進めないと来ている。

今作で一般的に話題になっているのは、物語の読み解き自在な事かと思うが、ワタシはあんまり気にならなかった。こんなに入り組んだ作品で、解明されない謎も多いから、全体に読後感としてモヤモヤするけどw作品にのめり込めてないからディテールを楽しみたいとまで思わないんだよな(爆)。

ワタシとしては、村上春樹作品となるとどうしても「ノルウェイの森」と比較してどうか、という視点になってしまって可哀想ではあるが、感情移入しまくれるwかの作品に比較して、余りにもそれのない今作には辛い点数しか上げられない。単独で見れば充分面白いところのある作品とも言えるのだが・・・・。



海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/02/28
  • メディア: 文庫
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/02/28
  • メディア: 文庫

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羊をめぐる冒険 [小説レビュー]

hitsuji_man.jpg「羊をめぐる冒険 上・下」(村上春樹)※講談社文庫

広告の仕事で出会った、美しい耳を持つ女の子と付き合っている僕は、突然訪ねてきた男に言われて写真に写っている羊を探すハメになる。その写真は友人の鼠が送ってきたものだった。

※ネタバレあります。未読者注意!

青春三部作完結編(?)となる今作は、消えた鼠を僕が追う話となった。そして、ここに来て村上ワールドは急速にファンタジー要素を強めて行くのだ。それが良かったかどうかは分からないが、以降村上春樹の作品は(「ノルウェイの森」を除き)どこかにファンタジーが入って来るようになる(らしい)。

逆に前作までが無国籍な雰囲気に支配されていたのとは裏腹に、北海道の奥深くへと立ち入って行く“冒険”は、北海道らしいかどうかは別として、日本(アイヌ?)土着の雰囲気をそれなりに醸し出し、前述のファンタジー要素を含めて、前2作とは明らかに空気感が異なる作品となっている。

それにしてもこの作品は、なぜ上下巻になるようなボリュームの作品になってしまったんだろう。取りあえず今作は謎の提示があって、その回答を得る旅が描かれるわけだが、それにしても中盤がグダグダ過ぎる。きれいな耳の彼女の話が長めなのは、その後の羊をめぐる探偵ゴッコとの相似形にしているので仕方ないにしても、村のあれこれは読んでても面白くないし、伏線にもなっていない。雰囲気作りならもっと短くていいんじゃないか?

耳の彼女(w)との別れにしても、唐突この上ない。伏線もないし、単なる尻切れとんぼだ。ワタシはてっきり、町で待ってるなどの展開かと思ったのだが・・・・。恋愛部分に関しては、またもやこの作品では裏切られてしまった。

考えてみると「ノルウェイの森」含めここまで読んで来た村上作品では一人称の人物の心理描写ってほとんどない。だから青春三部作での僕の恋愛劇は何の感慨も与えない。「1973年のピンボール」の鼠の描写は三人称視点だったから心のひだが描かれていたのだろう。「ノルウェイの森」は周囲とのやり取り(手紙も含め)でワタナベの心理があぶり出されるようになっていたように思う。

ただ、今作のクライマックスでは僕と鼠との決別が描かれている。「風の歌を聴け」からここまで付き合って来たこの二人の関係が、終わってしまうのかと思うとちょっと胸に迫るものがあった。それは「1973年〜」で鼠に感情移入してしまったという事実があるから余計に感じたのだと思う。初読だった昔には、それほど感慨を受けた印象はやはりない。

とはいえやっぱりこの作品、内容の割には長過ぎるよなぁ・・・・。


羊をめぐる冒険 (上) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険 (上) (講談社文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1985/10
  • メディア: 文庫
羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険 (下) (講談社文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1985/10
  • メディア: 文庫

タグ:村上春樹
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1973年のピンボール [小説レビュー]

1973_pinball.jpg「1973年のピンボール」(村上春樹)※講談社文庫

東京で事業を始め、双子の女の子と同棲し、配電盤を貯水池に沈める僕。地元に残り、相変わらずジェイズバーでビールを飲み、年上の女性と付き合い始める鼠。すれ違わない二人の生活は、いつまでもそのまま続くかと思われたのだが・・・・。

村上春樹の青春三部作の第2弾。第1弾の「風の歌を聴け」を酷評してしまったが、何故かこの「1973年のピンボール」は結構心に沁みてしまった。買った当時(「風の歌を聴け」にも書いたが20年前)に読んだ時は大して記憶に残らなかったのだが。

大体ワタシはロマコメ好きオヤジを標榜しているので(大して見てないけどw)、ラブストーリーは大好きなのだ。やっぱり青春時代をモテずに終わったので(汗)、多分その反動だと思うんだけど。でご多分に漏れずハッピーエンド大好きな人間だったりもするんだが、それは今回は置いといて・・・・。

村上春樹の小説では当然ラブストーリーも語られる訳だが、その権化のような「ノルウェイの森」はとても切なくよく出来ていたと思うのだが、「風の歌を聴け」では今イチツッコミ不足だった気がする。僕と彼女の関係性がうまく描かれていない。

この「1973年のピンボール」では、僕の恋愛劇はほとんど描かれない。双子の女の子とはセックスをしているのかどうかもハッキリと書かれていないし、「羊をめぐる冒険」まで通しで読まれた方はご存知の通り、将来の奥さんとの関係性も中途半端な形でしか出て来ない。それは当然、僕とピンボールとの関係性が疑似恋愛として描かれていく事を強調するためなのは明らかだ。

とは言えピンボールとの恋愛劇に、人は共感を感じられるものだろうか?少なくともワタシにとっては否だ。だから昔読んだ時は今イチ焦点の定まらない作品として、記憶に残らなかったんだと思う。

それが今回はなんで心に染み入って来たかと言うと、鼠とその彼女に感情移入してしまったからだ。「太郎物語 高校編」のレビューにも書いた通り、従来どうしても主人公一辺倒だったワタシの視点が、脇役たちにも届くようになったからだろう。今作では僕と鼠は全く絡む事なく終わってしまうので、僕目線で物語を見ていると、鼠の描写が全くの肩透かしで終わってしまう感がある。

でも鼠の物語(ココは村上春樹にとっては珍しく第三者目線での描写だ)だけを取り上げて見てみると、青春のもがきと切ないラブストーリーが描かれていて良いんだなぁ。特に彼女の存在感がとてもよい。鼠が感じている思慕の情と、そこから逃れざるを得なくなる自分自身との葛藤がとても切なかった。

という事で今作はなかなか楽しく読む事が出来た。この後、衝撃的な「羊をめぐる冒険」へと繋がっていくのだが・・・・・これまた近々レビューしましょうね。


1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1983/09
  • メディア: 文庫

タグ:村上春樹
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風の歌を聴け [小説レビュー]

風の歌を聴け_指1.jpg「風の歌を聴け」(村上春樹)※講談社文庫

大学生の僕は夏休みに地元の街へ帰省していた。友人の鼠とジェイズバーでビールを飲み、レコード店の店員の女の子と付き合い、そうして1970年の日々が過ぎていく。

「ノルウェイの森」を読んで、ついつい村上春樹の他の本も読んでみたくなるってのは当たり前の話だが、その行動は20年前の「ノルウェイの森」初読の時と同じ行動だぞ(笑)。でも止められないワタシだった。

話は大きく脱線するがw(今作のレビューだけ読みたい方は下半分だけお読みください笑)ワタシ自身の読書の傾向は海外推理小説または海外SF小説がほとんど。日本の出版傾向の中でもかなりニッチな部類に入るジャンルを好んで読んでいるのは、これは映画の好みにも言えるかもしれないが、ワタシが物語のクライマックスに衝撃を求めているからかもしれない。簡単に説明すれば本格推理小説で『えぇ!そいつが犯人だったのか!』っていうヤツである(笑)。SF小説にしてもセンス・オブ・ワンダー溢れる作品は、必ず最後にゾクゾクさせてくれるものだ。

日本人作家の作品はどうしても感性が自分と近い分、何となく先が読めて来てイカン(笑)。最後にガツンと来る事が少ない。その中では横溝正史のイイ作品はガツンと来て良かったけど。という事であまり日本人作家の本は読んでいなかった・・・という説明だった(笑)。

もちろん物語が面白ければ上記の範疇に入らない本だって喜んで読むのだが、基本的に投資のつもりで新本を買って読む事にしているワタシとしては『海外本格推理小説』であれば、かなりの確率で満足出来る、という気持ちがあるので、なかなか他の本に手が出なかったわけだ。

で「ノルウェイの森」は、当然だが全然上記に当てはまらない。ただ当時でもかなりの話題だったので、ハードカバーはスルーしたものの、文庫本になった時に買ってみた次第。でまぁ、ハマってしまったのはレビューに散々書いた。

遠〜くに行ってしまったがwそしてこの「風の歌を聴け」である。この作品にまずワタシは何を求めていたのか。上記のような“ラストの衝撃”ではもちろんない。どちらかと言えば当然「ノルウェイの森」チックな“切なさ”を伴った物語の面白さを求めていたのだと思う。

しかし、残念ながらこれはそういう物語ではない。1979年に発表された今作は、村上春樹のデビュー作でもあるわけだが、「ノルウェイの森」とは発表で8年程の開きがある。だからなのか、それともデビュー作だからなのか、何やらフワフワしていて地に足が付いていないのだ。

最初のグダグダな書き出しもそうだし、物語に入ってからも一体どこの話なの?って感じだし、その空気感は終始一貫して変わる事はない。基本的に地名は出て来ないが日本である事は明示される。でも行間から感じるのは“無国籍”感だ。登場人物たちもわざと名前を明らかにせず、僕、鼠、ジェイ、はては“左手の指が4本しかない女の子”である。そこまでするのに舞台が日本なのが不思議だ。

架空の街、架空の国(もしくは米国ロサンゼルスとか・・・)が舞台だったら、多分これほど地に足の付かない感じではなかったと思う。これだけ無国籍でその上日本だから、受け手としてはどう考えたらいいのか分からなくなってしまうのだ。

そして非常にペダンチックな部分がそれを補強する。ワタシが知らんだけかもしれないけど(笑)、音楽、文学の知識をひけらかすような衒学的な記述がそこここにある。ただ、それが表層的な内容に終始しているので、物語が理解出来なくなったりする訳ではないのが救いだが・・・・。ただそれってつまるところ“ファッション的”な扱いを出ていないという事。雰囲気づくりのツールな訳だ。

そういった事で全体的な印象がとにかく軽い。話もぶつ切りのエピソードの積み重ねだし、終わりも有って無いような感じだし、前後も締まらないダラダラな感じだしw記憶に残るエモーションも登場人物も場面もあまりない。

この感じは1970年代には新しかったのだろうが、そういったものの集大成みたいだったwバブル期を過ごして来た我々には今や何の感慨も与えない。という事で残念ながら今となってはあまりお勧め出来る本ではないと思う。

ただ、青春三部作の一冊目という位置づけなのが難しいところなんだよなぁ(笑)。


風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1982/07
  • メディア: 文庫

タグ:村上春樹
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太郎物語 大学編〈part2〉 [小説レビュー]

e09ed0920ea037429534d110.L.jpg「太郎物語 大学編」(曾野 綾子)新潮文庫

(part1はこちら→太郎物語 大学編[小説レビュー]
(高校編はこちら→太郎物語 高校編[小説レビュー]

太郎は補欠で受かった都内の有名校を蹴り、興味のある文化人類学を専攻するために名古屋の北川大学に入学する。初めての土地での一人暮らしと新たな友人、帰省すれば家庭が崩壊した友人や、まだ気持ちが残るガールフレンド、そして高校時代に憧れた先輩の元を訪ねたりと、太郎の一年は忙しく過ぎていく。

折角高校編をレビューしたので、再読した大学編も簡単に振り返っておきたい。

まず伝えておきたいのは、本当に面白い本だと言う事w ユーモアがあってクスクス笑えるし、それでいて押し付けがましくなく人生の機微を教えてくれる、誰でも手軽にとって楽しむ事が出来る本だ。

今回の再読では高校編で書いた通り、今まで読んだ時と少し違って太郎に入れ込み過ぎずに、他のキャラクターにも目配りしながら読めたように思う。特に太郎の両親や山中さん、三吉さん、旧友の藤原など、キーになる(描写の多い)キャラクターがとても魅力的に感じた。

特に藤原なんか、今読んでみると『あぁ、自分に近い性格かもなぁ・・・』なんて思ってしまった。目指していたのは太郎だったんだが、結局藤原くらいの目立てない性格だったなぁ・・・・という残念なw感慨が。いや、藤原もいいヤツなんで、そこまでもいってないとは思うけど。

そして改めて「ノルウェイの森」とは甚だ違う大学生活だなぁ、と思う。「太郎物語」は特に設定年代は出て来ないと思うが、高校編の出版年が1973年、大学編が1976年なので、70年代中期の話と考えていいだろう。「ノルウェイの森」が1969年だから5年程の開きがあるが、今となってはまぁ同時代と考えてもいいだろう。それでも作中の雰囲気は全く違う。これは書かれた年代が違うからかもしれないが、「ノルウェイの森」では性格や人間関係に重要な役割を果たしていたセックス描写は「太郎物語」には全く描かれない。

もう一つ「太郎物語」に欠落しているのは音楽描写だ。全くと言っていい程出て来ない。つまり時代を映す風俗的なものがかなり後退しているのが「太郎物語」の特徴なのだ。

それはやはり、息子をモデルにしたのでは、と言われる曾野綾子の母親としての目線で描写されているから、なのかもしれない。翻って村上春樹の「ノルウェイの森」は本人の自伝なのでは、と言われているのだから、正に親の代が書いたものと本人が書いたものという違いそのものが反映されているのだろう。

お陰で「太郎物語」は時代を感じさせないという意味で普遍性を獲得し、「ノルウェイの森」はノスタルジーを身に纏った上で普遍性を獲得した。これこそ出版年の違いが如実に表れた表現の違いと言えるかもしれない。

それにしても太郎の生活の魅力的な事!独り住まいで好きな時に好きなだけ本を読み、自分でこだわりのあるおいしそうな料理は作るし、旅行は行き当たりばったりで行くし、ワタシとしては夢のような生活(笑)。寂しさも漂わせているが、今のワタシから見ると魅力の方が勝ってしまう。あぁ、一回くらいこんな生活をしてみたかったなぁ・・・・。


太郎物語 (大学編) (新潮文庫)

太郎物語 (大学編) (新潮文庫)

  • 作者: 曽野 綾子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1987/05
  • メディア: 文庫

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太郎物語 高校編 [小説レビュー]

taro_story.jpg「太郎物語 高校編」(曾野綾子)新潮文庫

大学教授の父と翻訳家の母を持つ一人っ子の山本太郎は高校2年生。そろそろ将来に向けてどうするかを考える傍ら、好きな先輩の相談に乗ったり、陸上短距離走の選手として記録を伸ばしたり、友人の苦労を分かち合ったりと、太郎の短い一年は様々な出来事に彩られていく。

ブログ立ち上げ当初に「〜大学編」という事でレビュー済みの「太郎物語」なのだが、「ノルウェイの森」に関連して再読してみて、もう少しマトモにレビューすべきという気がして来たので、ちょっと書きたいと思う。

ということでまずは「太郎物語」を俯瞰して見てみよう。前編に当たる「高校編」は太郎が高校2年生の春〜冬を描いている。そして後編となる「大学編」は高校3年の終わりから大学2年の始まりまでだ。

ワタシは以前から「大学編」の方が好みだと思っていたのだが、今回通読してみて「高校編」に対する印象が変わった。かなり面白く読む事ができたのだ。何故か、と結構真剣に悩んだのだがwどうやら太郎という主人公に対するワタシの中の捉え方が変わって来たから、と言えそうだ。

以前はなんで「大学編」の太郎の方が好きだったのか。以前のレビューにも書いたが太郎はワタシの考える理想の自分自身だったのだ。太郎に憧れていたのである。理想像なのだから、自分の考える理想に近い方が当然良いのである。その点大学生の太郎は完璧に近かった。

それに対して高校生の太郎はやはりまだ“青い”。「大学編」に比べてバタバタしていて、判断に迷う場面も多い。親との話もまだ幼稚な感が否めないのである。だから、太郎に理想像を重ねていたワタシとしては高校生の太郎はお呼びでなかったのである。

ところが今回の再読では、太郎の設定年齢の倍以上生きて来てしまったワタシの中で、当然とも言えるが感覚の変化があったのだ。従来かなりのシンクロ率で太郎に感情移入して読んでいたのだが、今回はちょっと間を空けて物語を追っていたのかもしれない。

お陰で高校生の太郎の未熟なところが、若さ故の成長の余地としてマイナスというよりはプラスに考える事が出来たのだ。別の言い方をすると、青いところも含めた若さというものに、ワタシ自身がノスタルジーを感じ、共感をしたとも言える。そうなると高校生の太郎もかなりイイキャラクターに感じられたと言う事だ。

その上今回の通読では、今まで以上に太郎の両親にも感情移入が出来た(そりゃ今となってはこちらの方が同年代だw)し、その他太郎の友人たちに対しても今まで以上に気持ちを乗せて読む事が出来たのだ。これは今までだと、やはり太郎一人の視点に極端にこだわって読んでいた為に、周りのキャラクターも太郎の視点からしか見ていなかったのだろう。今回やや俯瞰して物語を追えるようになり、周りへのワタシの目配りが変わって来て見えるようになったのだと思う。

なんだかまたも自分史的な話になってしまったが(笑)、今作は生きるという事を真剣に考え、そして前向きに生きようとする人たちの物語であり、そうあれと考えている人たち全てへの応援歌になっている。しかも真剣に考えるからと言って深刻になるのではなく、ユーモアと言うオブラートに包んで提出して来るから気兼ねなく万人が読める娯楽作品にキッチリとなっている。

ただ何となく生きている人からすれば“イタい”かもしれないが、自分の人生としっかりと向き合おうという気持ちのある人なら誰にとっても面白い作品だと思う。特に(前回も書いたが)思春期まっただ中の人、そして子供を持つ親御さんはこれを読むと人生が変わるかもしれない程の作品。オススメです。


しかし本も高くなりましたよねぇ・・・・。今はこの本、500円ですか。ワタシの手元にあるものは280円ですよ(笑)。みんなもっと本を読もうね。誰の為でもない、自分の人生を豊かにする為に。
太郎物語 (高校編) (新潮文庫)

太郎物語 (高校編) (新潮文庫)

  • 作者: 曽野 綾子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1985/01
  • メディア: 文庫

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ノルウェイの森 [小説レビュー]

ノルウェイの森1.jpg「ノルウェイの森」(村上春樹)講談社文庫

※基本的にこの文章はネタバレを含んでいます。物語を読んでいない方は、ぜひお読みになってからまたお越し下さい。

映画版のレビューはこちら

神戸から東京の大学に進学したワタナベは、中央線で偶然直子に再会する。直子は、高校時代に自殺したワタナベの親友・キズキの恋人だった。付き合うようになった二人は直子の誕生日に結ばれるのだが、それによって混乱した直子は精神のバランスを崩して故郷へと帰ってしまう。そしてワタナベは風変わりな女の子・緑に出会う。

自分自身の混乱が収まらないけど、取りあえず書いてみる。なぜなら書く事で整理がつくものだし、それでも整理がつかない混乱は一生収まらない事なんだと気付いたから。そういう事は忘れてしまうか、一生混乱したまま生きていくかしか方法はなく、多分ワタシの解決方法のほとんどは前者なのだ。で忘れちゃうって事はレビューが書けないって事なんだよなぁ(笑)。

多分今回が三回目の通読となるが、ワタシの読後感は『切なさ』に尽きる。ワタナベの気持ちも切ないし、緑の気持ちも切ない。

ワタシの持っている文庫本は現在の装丁になる前の初版を買ったのだが、本を開くと奥付は1991年(ちょうど20年前だ)となっている。だから多分その時が最初の通読だったはずだ。当時ワタシはM社入社2年目か3年目くらいの25歳辺り。物語中のワタナベと年代がまだまだ近かった時。その頃も確かに切ない気持ちを抱いた記憶はあるが、さほど後を引かなかったと思う。当時のワタシは自分自身がまだまだ“青春の混乱”していたし、そのせいで作中で展開される混濁とした状況をうまく消化し切れていなかった気もする。だから表層的な話の展開を追うだけで終わってしまっていた。

今作は青春小説という側面と、恋愛小説としての側面を持っている。二つは当然断ち難く存在している訳だが、当時まだ自分自身が青春を謳歌していたワタシは青春小説としての側面はあまりピンと来ず、恋愛小説として読んでいたように思う。

二度目の通読は定かではないが、確か7〜8年前だと思う。作中の現在のワタナベと同年代の頃だ。会社員として30歳で社内恋愛の末に結婚し、35歳で厚木の郊外に一軒屋を購入したワタシは、一般的に考えられる月並みな人生の“シアワセ”を踏襲してきていると感じていた。そりゃ不満もあるし順風満帆とまでは言えないかもしれないが、少なくとも対外的にはマトモな人生を歩んでいると思っていた。

そんな中でこの物語を読んだ時、青春小説としての側面を強烈に『切なく』感じた。

人はオギャーと生まれた時から選択の連続で生きている。そして選択する度に人生の可能性をどんどん捨てているのだ。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、会社、意識するしないに関わらず、ほとんどの人にとってそれらを選択し直す事は不可能に近い。大学なんかは落とされたんだ、オレは選択してないって人もいるかもしれないがw少なくとも全ての大学入試を受ける訳じゃないから、なにがしかの選択をしているはずだ。結婚や家の購入なんかも人生の大きな選択であり、それによって可能性の幅は大きく減じて来る。

いや、選択する事が悪いって事では全然ない。だいたい選択ってのはその時にせざるを得ない場合がほとんどで、小さい事なら今日の昼飯に何食うかって事は食わないって選択肢も含めてタイムリミットがある訳で、可能性は狭まるけど人生が有限である限り選択は必要な事なのだ。逆に言うと人生の残り時間が減っていくその事自体が選択の余地が減っていくという事なのだから。

話を戻すと、二度目の通読で感じた切なさは多分、まだ人生に数多(あまた)の希望があり、あり過ぎる事で悩むワタナベの姿に、在りし日の自分を見たからだと思う。もちろんワタシはワタナベみたいに気がつかないし優しくないしもちろんもてもしなかったのだが、ワタナベとワタシは人生に対する姿勢が根本的には同じなのだ。そしてワタシはいつも書いている通り、主人公に感情移入して読むタイプの読者なので、そういう意味でもワタナベと自分が重なったのだろう。

その上で自分が捨てて来た可能性の萌芽を想い、既に取り戻せない青春時代を想い、切なさを感じたのだ。

そして今回。ワタシは44歳になっている。就職から22年、結婚から14年、家の購入から8年が経ち、人生の安定期と言われてもいい状態だ。子供がいないのが尚更その感を強くする。逆に言うと生活に変化がない。マンネリの極致である。それはある意味二回目の通読時の状況を更に推し進めた状態と言える。

ところが実情は違う。去年ある大きな選択をした。これによって今年の持つ意味が大きく変わった。まだここに具体的に書けないのがもどかしいのだが、ここからが人生第二のスタートなのだ。これによってもしかしたらその他の事も大きく変わるかもしれない・・・・。

そんな人生の転機に通読した今回の切なさは、前回前々回の印象を包括して更に深く分け入った感のあるもので、だからこそ今までになく心に染み入るものだった。ワタナベの心の解放と、自分の心の解放がリンクしたと言えるかもしれない。

ワタナベと直子の明らかな疑似恋愛やその事に対する二人の思考の流れも分かるし、ワタナベが感じる責任感が疑似恋愛だからこそ大きくなっていくその理由も分かるし、直子がその事に対してどんどん気持ちがおかしくなって死ぬしかなくなる理由も分かる。だからワタナベの緑への恋情が本当の意味での“初恋”なのも分かるし、緑の感情も同様の初恋なのが分かる。緑が父親に関する嘘を言わざるを得ない、いや言うべきである状況も分かるし、ワタナベと父親を対面させたかったのも分かるし、父親が死んだ時にワタナベに電話したのも分かるし、その後恋人と旅行に行ったのも分かるし・・・・。

今回特に切なく感じたのは緑について。ワタナベに対して感じる切なさは今までもあったが、今回は何故か緑に対しても感情移入してしまい、緑の心のひだを強く意識した。彼女の行動の様々な部分に想像がふくらみ、細かい感情の流れを汲み取り、さもありなんと胸に迫る想いを感じる。

おかげで読後にワタナベと緑は幸せになれたのかが気になってしょうがない。本の最後を読めば二人がその後付き合った事は想像に難くないわけだが、思い出してみればこの本は37歳のワタナベの回想という書き出してスタートしている。その後も現在の目線で語られる話があるし(ハツミさんの行く末の時とか)、その辺りの空気を読む限り、ワタナベの描写は所帯持ちのそれではない。となると・・・・まぁ、余り悲しい方向に妄想を膨らませない方が身のためかな。

作品について解説しようとすれば、キズキと直子の関係性とワタナベと緑の関係性の類似(というか相似形と言った方がいいか)だとか、緑は感情豊かにキュートに描かれているが直子は外見や仕草についてしか語られていない事とか、劇的な事をキーポイントにしない(それぞれの死についての描写なんかがいい例で、それは緑の父にも言える)事によってワタナベの心情の描写を大切にしている事とか、1969年という絶妙な年代設定によって逆に古くならない普遍性を獲得した事とか、言い出せば切りがない。

でもそんな事はどうでもいい事なんだ。この本はただ読めばいい。読む人が各々自分や自分の周りの人を登場人物に投影して読めばいい。そして自分の感受性に合った感動を味わえばいいのだ。
そして幾年かが過ぎた時、もしくは大きな選択をした後、もう一度読んでみる。そしてこんな話だったのかと愕然とすると共に、新しい感動を覚える。そうやって一生付き合っていける本なのだと思う。

ワタシもまた、50を過ぎた頃にでももう一度読み返したい。

ノルウェイの森  上下巻セット (講談社文庫)

ノルウェイの森  上下巻セット (講談社文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/11/05
  • メディア: 文庫

「ノルウェイの森」のワタナベに共感したら、こちらの「太郎物語」も読んでみてください。主人公の山本太郎はワタナベと結構キャラが被ってます。ワタシも再読して、もう一度確認しようかと思っています。
太郎物語 (高校編) (新潮文庫)

太郎物語 (高校編) (新潮文庫)

  • 作者: 曽野 綾子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1985/01
  • メディア: 文庫
太郎物語 (大学編) (新潮文庫)

太郎物語 (大学編) (新潮文庫)

  • 作者: 曽野 綾子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1987/05
  • メディア: 文庫

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まちがいだらけのハネムーン [小説レビュー]

514eRJVDK5L._SS500_.jpg「まちがいだらけのハネムーン」(コニス・リトル)創元推理文庫

看護婦のミリエルは出会ってわずか5日のイアンと内密に結婚する。戦争中の今、中尉のイアンは間もなく戦場へ戻らなければならない為、急ぐ必要があったのだ。ハネムーンもつましく、ミリエルの勤める病院に入院中で不在の、イアンの叔父リチャードの邸宅で二人きりで過ごす事になるのだが、邸宅に着いてみると親戚一家が転がり込んでいて騒がしい事この上ない。しかもその騒動のさなかにイアンとの結婚に裏があった事が明らかになってしまう。
そんな中、リチャードの病状が急変し、帰らぬ人となってしまう。アレルギーの悪化が原因だったが、気付けばミリエルの制服のポケットに悪化の原因となる鳥の羽が。自分の潔白を証明するため、父の知人の探偵ケリーを雇ってリチャード宅へと潜入を依頼するのだったが・・・・。

という事で幸せな事にコニス・リトルの本も「記憶をなくして汽車の旅」「夜ふかし屋敷のしのび足」に続く3冊目。売れてる気配がないから続刊に不安を抱いていたのだが一安心w これまた1941年の作品で、戦中ながら明るい作風でとても楽しい。もちろん謎解きがあって推理小説、今作ではちゃんと探偵も登場しw殺人事件の解決も驚愕の結果となる。まぁ、ややトリッキーだが。

でもコニス・リトルの作品は、第一に作品世界の雰囲気を楽しむ事で、謎解きはどちらかと言えばその物語のスパイスと言えるかもしれない。本格派とは違い、作者と読者の謎解き対決みたいなわけにはいかないと思う。ただ、それだからつまらないわけではないので、お間違えないように。

主人公は毎度お馴染みの、おきゃんでややおっちょこちょいながら、自立した性格で難関にも挫けない明るい性格の女の子。誰が読んでもついつい肩入れしたくなってしまう、愛すべきキャラクターだ。彼女の物語を追っていくうちに、グイグイ引っ張られて先へ先へと読み進んでしまう。

創元さんにはゼヒゼヒ、コニス・リトル作品の続刊を願って止まない。面白そうな軽い本をお探しの方、コニス・リトルの作品、お薦めです!続刊の為にもお買い求めくださいw


まちがいだらけのハネムーン (創元推理文庫)

まちがいだらけのハネムーン (創元推理文庫)

  • 作者: コニス・リトル
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2010/03/24
  • メディア: 文庫

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兄の殺人者 [小説レビュー]

51kBic0I3WL._SS500_.jpg「兄の殺人者」(D・M・ディヴァイン)創元推理文庫

弁護士のサイモン・バーネットは家でくつろいでいるさなかに、事務所の共同経営者である兄のオリバーに呼び出される。濃霧の中を渋々オフィスに向かったサイモンを待っていたのは、オリバーの銃殺死体だった。傲慢な性格で、仕事でも私生活でも問題を抱えていた兄は、いったい誰に殺されたのか?残された書類の中にオリバーが恐喝を行っていたという証拠があり、その遺恨ではないかとの線に警察が傾いていくが、兄を良く知るサイモンは納得出来ずに独自で調査を進めるのだった。

一昨年に「悪魔はすぐそこに」「ウォリス家の殺人」という2冊を続けて読み、レビューもしたD・M・ディヴァインのデビュー作という今作(1961年刊)。本の帯ではクリスティ絶賛という言葉も踊っている。ディヴァインの本は本格派ラインだが、このデビュー作もご多分に漏れず正統派の犯人探し小説である。

刊行当時にクリスティが絶賛したとは言え、それから既に50年が過ぎようという現代なので、帯の言葉を単純に受け止めるわけにはいかないが、正統派の推理小説なのは間違いなく、ディヴァインの本を続けて読んでいて裏切られるようなデキではない。間違いなく面白い。

前2作に比べるとデビュー作という事で頑張り過ぎてるのか、やや盛り盛りな気はある。登場人物は多いし、途中から出て来るキャラが急に出て来る割にはその後結構本筋に絡んできたりと、読者の犯人探しの気を散らそうという意図が、散漫な印象も与えている。

ただ、それでもやはり面白い。主人公の恋愛感情のエモーショナルな部分がなかなかよく描けていて、それがうまくエンディングまで繋がっていくのも収まりが良くてイイ。

実はこれの前にディヴァインのもう一冊、「災厄の紳士」も読んだので、そちらも早めにレビューしたい。


兄の殺人者 (創元推理文庫)

兄の殺人者 (創元推理文庫)

  • 作者: D・M・ディヴァイン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2010/05/22
  • メディア: 文庫

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