「シン・仮面ライダー」にそこはかとなく感じる不安。 [邦画News]
「シン・仮面ライダー」の2号ライダーの配役やビジュアルが公開され、ニュースになっています。あ、あけましておめでとうございます爆。
このビジュアルを見ていて、なんだかちょっとモヤモヤしてしまいました…
庵野氏がやたら登用され始めたのは、皆さんご存知の通り「シン・ゴジラ」がヒットしたところからでしょう。更には「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が100億を超える興収を上げたことで神格化してしまったと言ってもいい。一躍時の人となったわけです。そして矢継ぎ早に「シン・ウルトラマン」「シン・仮面ライダー」と発表されるに至った。
「エヴァ新劇場版」シリーズはまぁ特殊な位置づけなので置いておくとすると、庵野秀明のホントの実績って「シン・ゴジラ」しかないわけですよね。
みんなは分かりませんが、私が「シン・ゴジラ」で良いなと思ったのは、絵空事なのがゴジラという存在だけだったこと。どう考えても現代にはあり得ないスーパー兵器などが出てこず、つまらなそうに描写されがちな政治判断みたいなところにも触れず、現在存在しているものを使って何とかゴジラを撃退しようとする官僚たちの奮闘がなんともリアルだったわけです。(石原さとみはコメディリリーフだから…)
その後「シン・ウルトラマン」が発表されましたが、これはゴジラの延長線上である程度予想できる感があり、また科特隊(多分)が変なコスチュームを着ることなく、真剣な表情で描かれた予告編を見るにつけ、「シン・ゴジラ」同様にリアルなシチュエーションを大事にしていると感じました。
ところが今回の「シン・仮面ライダー」に関しては、原作のテレビをなぞったような、そして一部のデザインだけアップデートした感の映像ばかりが公開されており、庵野氏の目指している方向がどこを向いているのかわからなくなってしまった次第なのです。
ここで改めて“リアル”であることの重要性を指摘しておきたいと思います。これまたいろいろな捉え方があるかと思いますが、私がここで言うリアルというのは「本当らしい」「実際にありそう」と思えること、ということになります。
例えば普通の現代劇のドラマというのは、舞台としてはリアルではありますが、登場人物に余りにも素っ頓狂なキャラを配置すればその作品はリアルから逸脱することになります。
もちろん怪獣映画やヒーロー映画は中心にリアルでないもの(ex.ゴジラやウルトラマン)が据えられますので、完全なリアル感はあり得ません。しかしそこで諦めずに、それ以外のところ(ex.科特隊の衣装とか)を極力リアルにすることで、『ありそう』と思わせることが出来る。それを真剣に考えることで作品としての深みも獲得できると私は思うのです。
そしてリアルであればあるほど、一般の観客に対してもアピールすることが出来ます。宇宙人のウルトラマンが出てくるからといって、現代科学で開発不可能なスーパー兵器が出てきたら、あれもこれも絵空事として、特撮ファン以外の人達は興ざめしてしまうでしょう。そして多くの人に「この作品は子供騙し」というレッテルを貼られてしまうと思います。
だからこそ「シン・仮面ライダー」もリアルであることを大事にして欲しいと願っているのです。
最初のコンセプトアートが公開された時にはある程度納得しました。あのロングコートをはおった姿。しかしスーツが作られてみれば、最初の仮面ライダーの焼き直しでした。もちろん、まだそれがリアルでないと決めつけることは出来ません。何らかの理屈付けがありうるとは思います。
しかし、コートなど一般的な服、せいぜい一般に売られているライダースーツそのままの姿であったら…もっとリアルだったのではないか。
権力を持った組織から逃亡した身で、オリジナルのスーツをつくるなんて、普通に考えたらあり得ないですよね。ベルトの風車が回ると変身する設定だとしたら、ベルトは肉体に接続されていなければなりません。そう、もっともっと生物?、もしくはマン・マシンシステム的でなければリアルではないのではないでしょうか?
バイクだって、普通のバイクに毛が生えたくらいのもので充分だったと思うのですが…
私は最初の仮面ライダーが放送された頃、幼稚園でした。何話目かから見始めて、それからずっと見ていました。ですからダブルライダーの立つ姿に感動しないわけではありません。
ただ、それ以上に作品を見て感動したい。何年何十年後にも「シン・仮面ライダー」が傑作として名を残す作品になってもらいたいと思っています。ぜひこの心配が杞憂に終わるような作品であることを願っています。
このビジュアルを見ていて、なんだかちょっとモヤモヤしてしまいました…
庵野氏がやたら登用され始めたのは、皆さんご存知の通り「シン・ゴジラ」がヒットしたところからでしょう。更には「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が100億を超える興収を上げたことで神格化してしまったと言ってもいい。一躍時の人となったわけです。そして矢継ぎ早に「シン・ウルトラマン」「シン・仮面ライダー」と発表されるに至った。
「エヴァ新劇場版」シリーズはまぁ特殊な位置づけなので置いておくとすると、庵野秀明のホントの実績って「シン・ゴジラ」しかないわけですよね。
みんなは分かりませんが、私が「シン・ゴジラ」で良いなと思ったのは、絵空事なのがゴジラという存在だけだったこと。どう考えても現代にはあり得ないスーパー兵器などが出てこず、つまらなそうに描写されがちな政治判断みたいなところにも触れず、現在存在しているものを使って何とかゴジラを撃退しようとする官僚たちの奮闘がなんともリアルだったわけです。(石原さとみはコメディリリーフだから…)
その後「シン・ウルトラマン」が発表されましたが、これはゴジラの延長線上である程度予想できる感があり、また科特隊(多分)が変なコスチュームを着ることなく、真剣な表情で描かれた予告編を見るにつけ、「シン・ゴジラ」同様にリアルなシチュエーションを大事にしていると感じました。
ところが今回の「シン・仮面ライダー」に関しては、原作のテレビをなぞったような、そして一部のデザインだけアップデートした感の映像ばかりが公開されており、庵野氏の目指している方向がどこを向いているのかわからなくなってしまった次第なのです。
ここで改めて“リアル”であることの重要性を指摘しておきたいと思います。これまたいろいろな捉え方があるかと思いますが、私がここで言うリアルというのは「本当らしい」「実際にありそう」と思えること、ということになります。
例えば普通の現代劇のドラマというのは、舞台としてはリアルではありますが、登場人物に余りにも素っ頓狂なキャラを配置すればその作品はリアルから逸脱することになります。
もちろん怪獣映画やヒーロー映画は中心にリアルでないもの(ex.ゴジラやウルトラマン)が据えられますので、完全なリアル感はあり得ません。しかしそこで諦めずに、それ以外のところ(ex.科特隊の衣装とか)を極力リアルにすることで、『ありそう』と思わせることが出来る。それを真剣に考えることで作品としての深みも獲得できると私は思うのです。
そしてリアルであればあるほど、一般の観客に対してもアピールすることが出来ます。宇宙人のウルトラマンが出てくるからといって、現代科学で開発不可能なスーパー兵器が出てきたら、あれもこれも絵空事として、特撮ファン以外の人達は興ざめしてしまうでしょう。そして多くの人に「この作品は子供騙し」というレッテルを貼られてしまうと思います。
だからこそ「シン・仮面ライダー」もリアルであることを大事にして欲しいと願っているのです。
最初のコンセプトアートが公開された時にはある程度納得しました。あのロングコートをはおった姿。しかしスーツが作られてみれば、最初の仮面ライダーの焼き直しでした。もちろん、まだそれがリアルでないと決めつけることは出来ません。何らかの理屈付けがありうるとは思います。
しかし、コートなど一般的な服、せいぜい一般に売られているライダースーツそのままの姿であったら…もっとリアルだったのではないか。
権力を持った組織から逃亡した身で、オリジナルのスーツをつくるなんて、普通に考えたらあり得ないですよね。ベルトの風車が回ると変身する設定だとしたら、ベルトは肉体に接続されていなければなりません。そう、もっともっと生物?、もしくはマン・マシンシステム的でなければリアルではないのではないでしょうか?
バイクだって、普通のバイクに毛が生えたくらいのもので充分だったと思うのですが…
私は最初の仮面ライダーが放送された頃、幼稚園でした。何話目かから見始めて、それからずっと見ていました。ですからダブルライダーの立つ姿に感動しないわけではありません。
ただ、それ以上に作品を見て感動したい。何年何十年後にも「シン・仮面ライダー」が傑作として名を残す作品になってもらいたいと思っています。ぜひこの心配が杞憂に終わるような作品であることを願っています。
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