模倣犯(二)(三) [小説レビュー]
模倣犯(一)の続き。(二)(三)の二冊が『第二部』となる。内容は一巻=『第一部』が警察を中心とした、事件を外からの視点で語ったものであったのに対し、『第二部』は『第一部』とほぼ同じ時系列を、事件の内部=犯人の側を中心に綴られている。
いやー、辛かった。ホントに。犯人の側から描くという事は、殺人前後の様子も含めて描く事になるわけだが。被害者描写にも膨大な枚数を消費しており、それなりに感情移入させるように出来ている。しかもその被害者が殺される事は『第一部』を読んでいる読者は知っているのだ。つまり生殺し状態を読者に強いている訳である。で、この状態が延々と続くのだ。読む側にとって、これほどキツい本はない。
宮部みゆきは文体でグイグイ読ませる。だから普通の日常を書いていてもサラサラと読めてしまう。とは言え、とにかく登場する人物の日常を端から次々とここまで文章にして行く事ないのに・・・と思ってしまう。こんだけ書き込めば、そりゃ膨大な長さの話になるよなぁ。
確かに被害者の事を詳細に綴っているのは、小さな幸せが壊されて行く過程を描く事によって犯罪の残虐性を際立たせる事に繋がっていると思うが、それにしても読者にストレスかけ過ぎではないだろうか。ワタシは胸が苦しくなった。しかも心の重荷を下ろせるのはまだまだ先、あと二冊読むまでお預けなのである。
『サッカーはストレスのスポーツである』と言われている。一試合90分やって、応援しているチームに点が入るのは平均で1〜2点、0点という事もままある。その代わりゴール前のチャンスは多い。シュートはヘタすれば1チーム20本を数える。シュートやゴール前のチャンスの数と実際の得点との差が、イコール観客のストレス系数だ。点が入るかもしれないという期待を胸に抱き、入らない現実に直面してストレスを溜め込む。そのストレスが大きくなればなるほど、本当にゴールした時の開放感も比例して大きくなる。
今のワタシもそんな感じである。『第一部』はまだしも、『第二部』の二冊を通じてとてつもないストレスを溜め込んでいる。何しろ長い。そしてその間、ゴールシーンは皆無だ。心を解放する事が出来ない。被害者(二次的も含め)はどんどん膨らみ、死んだ人はもう帰らない。
その中で、どのようなゴールシーンでワタシの心を解放してくれるのか。ちょっと心配だ。0点で終わるのだけは避けて欲しい、と言うのが、現在の本音です。
(今は『第三部』に入って5巻の半分くらいまで来た。いよいよロスタイムも間近だ。)
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