ブレードランナー(字幕版) [洋画レビュー]
「ブレードランナー(字幕版)」(監督:リドリー・スコット)
久しぶりにながら鑑賞したのでちょっと書いておこう。うちにあるのは「『ブレードランナー』製作25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション・プレミアム(5枚組み) [DVD]」なので毎回どのバージョンを見るか悩むのだがw今回も結局「ブレードランナー ファイナル・カット」に。一番映像がきれいだろうと勝手に思っているからなんだけど、もしかしたらほとんど変わらないのかもしれない爆。
ときどきデッカードのナレーションが恋しくなるのだけど、ながら鑑賞ではナレーションはあまり堪能できないのでノーナレになってしまう。ノーナレならやっぱ「ファイナル・カット」でいいやろうとなる。
最近岡田斗司夫チャンネルをYou Tubeでときどき見ていて、ブレラン関連も少し見て「なるほどね」と思ったりしているのだが、今回はそんなこともあって見方が少し変わったかもしれない。
ブレランを見て一番思うのは「なんでこんなに何度も見てるのかなぁ」ということ笑。ブレランてそんなに面白いですかね?なんかストーリーはスカッとしないし、気まずいシーンもたくさんある。ワタシが見てて嫌なシーンは、目のおっちゃんがいたぶられるところとか、セバスチャンとプリスの一連のシークエンスの部分とか。いつも早回ししちゃったり、今回も別のことをやってて見てなかったw。
それなのに映画自体はつい見ちゃう。映像の良さ、特撮のきれいさ、ヴァンゲリスの音楽、シド・ミードのフューチャーデザイン。ショーン・ヤングの美しさ(実際の性格は置いといてw)、ハリソンの情けなかっこよさw、ルドガーのデブかっこよさ。そんなものが頭にこびりついているからかもしれない。
今回見てて思ったのは、ちょっとしたシーンが好きだったりすること。うろこを調べてくれるおばちゃんのシーンとか、レイチェルに振られてヤケ飲みするデッカードとか、もちろん「2つで十分ですよ」とか大好きw。バッティの「Time to die.」&ハトさんのシーンももちろん好きなのだが、どちらかと言うと「Attack ships」とか「Tannhäuser Gate」っていう言葉の響にシビレるかな笑。
最近バッティが死期を延ばそうとして左手に釘を差すのが“スティグマータ”だという指摘(岡田斗司夫だったかな)を聞いてなるほど!と思ったのだが、よく見たらゾーラの最期、背後から撃たれた彼女の背中の傷がちょうど両肩甲骨の辺りについていて、見方によっては天使の羽根がもぎ取られた痕のようにも見えるなー、と気がついた。バッティがデッカードを救い上げるのがその左手だというのも、『弱っている腕でわざわざ持ち上げた』だけだと思っていたのだが、もしかしたら『神の手』が救う、という理由で左腕で持ち上げたのかもしれない。
そんな風に考えると、人造生命のレプリカントこそが「神」であり、リドリーがレプリ=神に対してより愛情を感じている気がする。だから主人公・デッカードがレプリでも、リドリーとしては全く問題ないわけだ。ハリソンは違ったみたいだが。
この考え方って、ワタシのNo.1映画「バットマンリターンズ」でティム・バートンが披露したフリークス愛と似た図式だと気づいた。つまり主人公は守るべき一般ピープルよりも、戦っている敵方とより近しいわけだ。
そう考えるとデッカードがレプリなのは当たり前だということになる。今回見たファイナル・カット版はもちろんユニコーンシークエンスが出てくるわけだから、ラストにガフが置いていくユニコーンの折り紙によってデッカード=レプリであることはほぼ確定されているわけだけど、それ以外のシーンでも、そのつもりで見ていると明らかにレプリであることを意識した演出が多い。
冒頭の、逃げてきたレプリの説明をデッカードが受けるシーンでブライアンが見せる不安そうな眼差し(あるいは推し量るような、確認するような)は明らかに『こいつはちゃんと(あるべき)予定通りの人間になっているだろうか』という心配を孕んでいる。
レイチェルとの初対面シーンでは、ティレル博士がVK検査をレイチェルにやってみてくれ、と頼むわけだが、これって逆にティレルは、デッカードがちゃんと役割を果たせるのかをチェックしたかったようにも見れる。
デッカードは腕利きのブレードランナーのはずなのだが、一人目のゾーラを殺したときのうろたえ具合。あれはきっと、実際に殺したのは初めてだったからなのではないか。そしてその直後に現れるブライアンがガフに「彼(デッカード)を見習え、腕利きだぞ」ってわざわざ言うのは、かなりの皮肉というか揶揄しているのだとわかる。
そしてガフはいつもデッカードを冷笑するような表情で見ている。それは彼自身が、使い捨てのレプリの監視役だからなのだろう。デッカードが助けられバッティが死んだシーンの直後に彼が現れるのも、デッカードも使い捨てだから死のうが構わない、決着がつくのを近くで待っていたからなのだ。
ということで続編「ブレードランナー 2049」が公開済みの今ではあるが、デッカードはレプリカントであり、2049は続編ではないということになった笑。まぁそれでいいんだろう。2049は別物として、「ブレードランナー」にはやはり続編は不必要なのだ。
久しぶりにながら鑑賞したのでちょっと書いておこう。うちにあるのは「『ブレードランナー』製作25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション・プレミアム(5枚組み) [DVD]」なので毎回どのバージョンを見るか悩むのだがw今回も結局「ブレードランナー ファイナル・カット」に。一番映像がきれいだろうと勝手に思っているからなんだけど、もしかしたらほとんど変わらないのかもしれない爆。
ときどきデッカードのナレーションが恋しくなるのだけど、ながら鑑賞ではナレーションはあまり堪能できないのでノーナレになってしまう。ノーナレならやっぱ「ファイナル・カット」でいいやろうとなる。
最近岡田斗司夫チャンネルをYou Tubeでときどき見ていて、ブレラン関連も少し見て「なるほどね」と思ったりしているのだが、今回はそんなこともあって見方が少し変わったかもしれない。
ブレランを見て一番思うのは「なんでこんなに何度も見てるのかなぁ」ということ笑。ブレランてそんなに面白いですかね?なんかストーリーはスカッとしないし、気まずいシーンもたくさんある。ワタシが見てて嫌なシーンは、目のおっちゃんがいたぶられるところとか、セバスチャンとプリスの一連のシークエンスの部分とか。いつも早回ししちゃったり、今回も別のことをやってて見てなかったw。
それなのに映画自体はつい見ちゃう。映像の良さ、特撮のきれいさ、ヴァンゲリスの音楽、シド・ミードのフューチャーデザイン。ショーン・ヤングの美しさ(実際の性格は置いといてw)、ハリソンの情けなかっこよさw、ルドガーのデブかっこよさ。そんなものが頭にこびりついているからかもしれない。
今回見てて思ったのは、ちょっとしたシーンが好きだったりすること。うろこを調べてくれるおばちゃんのシーンとか、レイチェルに振られてヤケ飲みするデッカードとか、もちろん「2つで十分ですよ」とか大好きw。バッティの「Time to die.」&ハトさんのシーンももちろん好きなのだが、どちらかと言うと「Attack ships」とか「Tannhäuser Gate」っていう言葉の響にシビレるかな笑。
最近バッティが死期を延ばそうとして左手に釘を差すのが“スティグマータ”だという指摘(岡田斗司夫だったかな)を聞いてなるほど!と思ったのだが、よく見たらゾーラの最期、背後から撃たれた彼女の背中の傷がちょうど両肩甲骨の辺りについていて、見方によっては天使の羽根がもぎ取られた痕のようにも見えるなー、と気がついた。バッティがデッカードを救い上げるのがその左手だというのも、『弱っている腕でわざわざ持ち上げた』だけだと思っていたのだが、もしかしたら『神の手』が救う、という理由で左腕で持ち上げたのかもしれない。
そんな風に考えると、人造生命のレプリカントこそが「神」であり、リドリーがレプリ=神に対してより愛情を感じている気がする。だから主人公・デッカードがレプリでも、リドリーとしては全く問題ないわけだ。ハリソンは違ったみたいだが。
この考え方って、ワタシのNo.1映画「バットマンリターンズ」でティム・バートンが披露したフリークス愛と似た図式だと気づいた。つまり主人公は守るべき一般ピープルよりも、戦っている敵方とより近しいわけだ。
そう考えるとデッカードがレプリなのは当たり前だということになる。今回見たファイナル・カット版はもちろんユニコーンシークエンスが出てくるわけだから、ラストにガフが置いていくユニコーンの折り紙によってデッカード=レプリであることはほぼ確定されているわけだけど、それ以外のシーンでも、そのつもりで見ていると明らかにレプリであることを意識した演出が多い。
冒頭の、逃げてきたレプリの説明をデッカードが受けるシーンでブライアンが見せる不安そうな眼差し(あるいは推し量るような、確認するような)は明らかに『こいつはちゃんと(あるべき)予定通りの人間になっているだろうか』という心配を孕んでいる。
レイチェルとの初対面シーンでは、ティレル博士がVK検査をレイチェルにやってみてくれ、と頼むわけだが、これって逆にティレルは、デッカードがちゃんと役割を果たせるのかをチェックしたかったようにも見れる。
デッカードは腕利きのブレードランナーのはずなのだが、一人目のゾーラを殺したときのうろたえ具合。あれはきっと、実際に殺したのは初めてだったからなのではないか。そしてその直後に現れるブライアンがガフに「彼(デッカード)を見習え、腕利きだぞ」ってわざわざ言うのは、かなりの皮肉というか揶揄しているのだとわかる。
そしてガフはいつもデッカードを冷笑するような表情で見ている。それは彼自身が、使い捨てのレプリの監視役だからなのだろう。デッカードが助けられバッティが死んだシーンの直後に彼が現れるのも、デッカードも使い捨てだから死のうが構わない、決着がつくのを近くで待っていたからなのだ。
ということで続編「ブレードランナー 2049」が公開済みの今ではあるが、デッカードはレプリカントであり、2049は続編ではないということになった笑。まぁそれでいいんだろう。2049は別物として、「ブレードランナー」にはやはり続編は不必要なのだ。
【10,000セット限定生産】『ブレードランナー』製作25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション・プレミアム(5枚組み) [DVD]
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- メディア: DVD
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